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水戸の梅

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# by nokyu | 2011-03-21 10:00 | 風景

水戸の梅

地震のあとも、きっと咲き続けているはずだから・・・
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# by nokyu | 2011-03-20 21:22 | 風景

地震

被災したみなさまに・・・
一日も早い復興をお祈りいたします。
そして、一人でも多くの命が救われますように。

水戸に旅行中でした。
たくさんの方々に助けられ、2日後、無事帰宅することができました。
言葉では言い尽くせないくらい、感謝の気持ちでいっぱいです。
いつか、このご恩をお返ししたいと思っています。

                                   のきゅ
# by nokyu | 2011-03-14 16:56 | Thank you | Trackback | Comments(8)

その夜から帰宅まで

車に乗せてくれたOさん、一緒に乗り込んだWさん、
そして、全く土地勘のない友人と私の4人。
車に乗って、水戸駅前を後にしたものの、あちこちでものすごい渋滞になっています。

止まった車のなかで、何度も余震を感じました。
また、倒れたブロック塀や崩れ落ちた瓦屋根もたくさんありました。
道路の陥没や、橋の封鎖があちこちで行われていたようでした。

市内をグルグル、そして、3時間程が経過した頃やっとコンビニにたどり着きます。
店内はまっくら、それでも、お店の方は懐中電灯の光で電卓をたたきながら商品を販売してくれました。
飲み物や食べ物、カイロを買うことができ、更に車で走り続けました。



着いたところは那珂市総合センターらぽーる。
Oさんのお姉さんの家の近くにある避難所です。
着いた時に、市の職員の方が誘導してくれました。
そこでお世話になったOさんとはさよなら、Oさんは実家に向かいました。

避難所になったらぽーるに地元の方が集まります。
仲間に入れてもらった私たちも、不安な一夜を一緒に明かしました。

「食事してない方、いらっしゃいますか?」
非常食のフリーズドライの五目御飯とお水が配られます。
途中からストーブが設置され、自家発電でのライトが入りました。

何度もくる余震、そのたび目を覚ましてドキドキ。
うとうとしては、起きる、その繰り返しで朝を迎えました。

      *    *    *

翌日、土曜日。前日と同じく暖かな朝。
避難所生活2日目となります。
一晩過ごしたロビーから、だんらん室のような部屋へ移動しました。
お水は近くの酒蔵のようなところから分けてもらえたようで、一升瓶に入っていました。
朝ごはんとして菓子パンが配布されます。

帰り道を模索する私たち。
携帯はかからず、そのうちバッテリーもなくなります。
公衆電話だけが頼みの綱。
高速バスも走らず、レンタカー会社もNG。

ちかくの駅にも行って見ました。
駅のホームが線路に崩れ落ちていました。

お昼にいただいた大きな塩むすび。
ものすごくおいしかった。


そのうち、最寄の公衆電話がかからなくなります。
少し離れたコンビニで電話。
コンビニで買った、茨城の地図とにらめっこ。
歩けるかなぁ?でも、どこに向かえばいい?
夜、歩くのは無理。
結局、土曜日はそのまま避難所でお世話になることにしました。


      *    *    *

日曜日の朝、動くなら明るいうちに、と決めていました。
ラジオから流れてくる被災情報は茨城のことばかり。
もしかしたら、栃木側なら大丈夫なのでは?

なんとか情報を得たいと、公衆電話へ向かいます。
しかし、前日最後に電話した公衆電話も不通になっていました。
歩き回って他の電話を探します。しかし、どこにもつながる電話はありませんでした。

避難所に戻り、スタッフの方に、タクシー会社の場所を聞きました。
明細地図を出して、説明してくれました。これなら歩いて行けそう。
友達と二人、歩き始めました。

割れたガラスを片付けている人。
崩れた瓦を取り除いている人。
みんな、少しずつ復旧にむけてがんばっていました。

そうして、たどりついたタクシー会社。
2階に人が・・・。
ガラスを直しているところでした。

「あのー、今日って営業してますか?」
その方に声をかけます。
「大丈夫ですよ」

あー、これで帰れる・・・。

タクシーに乗せてもらって、避難所に戻ると、スタッフの方が
「よかったねー、タクシー会社たどりつけたんだね」と声をかけてくれました。
言い尽くせない感謝の気持ち。ありがとうございました、と何度も頭を下げました。
荷物を持って、再びタクシーへ。
一緒に避難したWさんとはさよならです。手持ちのお菓子やパンを渡しました。


タクシーでの移動中、やっぱり渡れない橋がありました。
何度か迂回を繰り返しつつも、栃木県側へ近づいていきます。
最初に向かった駅は電車不通でした。

そして、小山駅前に到着。
タクシーのドアを開くと、列車の発車ベルが聞こえました。
次の電車の表示を見ると「逗子行き」
なんて懐かしい響きなんだろう・・・。

公衆電話で帰宅できる旨を伝え、売店でおにぎりを買いました。
乗り込んだ電車は、ほとんど遅れることなく私たちを運んでくれました。
友達が買った携帯の電池。
それを借りて、母や心配してくれた友人にメールで連絡しました。
みんな、すぐに返信をくれて・・・。心配してくれていたんだなぁ、と実感。


友人と別れた後、ほぼ帰宅できる旨を、車に乗せてくれたOさんへ電話しました。
被災地の携帯電話。なかなか繋がりにくく、声も途切れとぎれ。
でも、感謝の気持ちを伝えることができました。
この時点でOさんはお子さんと連絡が取れていないとのことでした。
がんばって、としか言えなかった・・・。


      *    *    *

家に帰ると、お風呂が沸いていて、山盛りのご飯も用意されていました。
あー、帰ってきた。
まこ、心配かけてごめんね・・・。

長い、ながい3日間でした。
いろんな人に助けられて、帰り着くことができたこと。
忘れられない出来事です。
感謝の気持ちを、自分ができることで恩返ししたい。
考えて、行動したいと思っています。
# by nokyu | 2011-03-14 16:47 | Thank you

その日・・・

その日は友人と二人旅でした。
水戸の偕楽園で梅を見ながらお弁当。
あたたかで、いいお天気で気持ちのいい日でした。

バスで駅に戻って、いわき湯本へ向かうため、駅の構内にいた時でした。
最初のゆれ、駅の構内だったこともあり、「電車が来たからじゃない?」と思っていました。
しかし、ミルクスタンドのお姉さんの口元が「地震、地震」と動いていました。


外に避難、と思った時には既に激しい揺れに・・・。
前を歩いていたおばあちゃんがしゃがみこみます。
続いて、友人も。
立っていられない状態でした。

自分が乗っている駅前歩道橋と駅側のつなぎ目が凄く動いていました。
歩道橋落ちるかも、と思い、駅側に戻って必死になって歩きはじめます。
友人と手をつなぎながら、一歩ずつ、ガラスには近づかないよう気をつけながら・・・。

バスロータリーには大勢の人。
ビルで働いている人やお買い物に来た人、みんな呆然としていました。
よく見ると足元の道路も陥没していました。


「三の丸小学校に避難しまーす」
女の人の声がしました。
とにかく、街中は怖い。ビルもたくさんあって危険な状態。

「どうする?」「避難したほうがいいよね?」
もちろん、地理がわかるはずもなく、人の波に一緒についていきました。

看板の落下、石組みの花壇が崩壊、ドアが開かなくなって蹴飛ばしている人、
倒れた人に声をかける人。
落下物のせいか、空気が全体的にほこりっぽくなっていました。



小学校のグランドで、何度も地響きとともに余震がきました。
そのたびにしゃがみこむ私と友人。
何もできない・・・。あー、家に帰りたい。

近くに一人でいた女性が話しかけてくれました。
3人の方が心強いから、一緒にいましょう、と話しました。
美容院で座ったとたん地震にあったこと、
福島の息子さん、隣の市にいるご両親と連絡が取れないこと。
人と話すことがこんなに心強くなれることなんだと、初めて知りました。
この人が、私たちを助けてくれました。



彼女は、車で駅前まで来ていました。
余震がおさまってくると、小学校から出て行く人が増えてきます。
「どうする?」
「車を出せたら、郊外まで送ってあげる」
その言葉に、グランドで一人だったもう一人の女性と一緒に小学校を出て駅に向かいました。

再び駅前。
駅構内は停電で真っ暗、入れる様子はありません。
最初に乗っていた歩道橋もロープが張られて、人の姿はありませんでした。
たくさん止まったバスの間を抜け、駐車場へ向かいます。

「車出せますか?」「大丈夫ですよ」
よかったー。これで帰れるね。
真っ暗な地下駐車場、係員さんが懐中電灯で足元を照らしてくれました。
ドキドキしながら4人で手をつなぎながら歩き、車に乗り込むことができました。


ここから長い夜が始まります。
# by nokyu | 2011-03-14 15:41 | Thank you